コラム

調査と回復

地方で実績をあげているNPOが、
ある調査研究をすることになり、
東京を拠点とした私たちJUSTも協力させていただくことになった。
内容は、ある傾向を持つサバイバーの実態を調査するもので、
完成すればきわめて意義が大きいと思われる研究である。

しかし、そのような研究には、
その傾向を持つサバイバーご自身への聞き取り調査が必要となる。
そこで、回復のために私たちへつながっている方で、
協力していただける方を募り、
そのNPOからの聞き取りへの協力をお願いした。

ある傾向を持つサバイバー…。
ある意味では、私たちは皆、「ある傾向を持つサバイバー」である。

ある人にとっては、それが嗜癖であったり、症状であったり、問題行動であったりする。

しかしそういう傾向は、
私たちのように治療回復の場につながっていない人々にも
きっとあるはずだ。
むしろ、本人が
「自分にそういう傾向がある」
認めていない分だけ、始末がわるい場合があるのではないか。

ところが、
私たちはそれぞれが持っている「ある傾向」を認めるやいなや、
たちまち世間からは色眼鏡で見られかねないという危険を持っている。
それは、日本に限らない。
けっこう人間社会に普遍的なジレンマだと思う。

それだけに、そうした調査は、
対象者を、世間の無情で無責任な色眼鏡にさらさないように、
注意に注意を払って行なっていかなければならない難しさがある。

さて、聞き取りをお願いした方が、
学校へ通うため、しばらく私たちから遠のくになった。
それは回復という作業の一環であるから、
喜ばしいこと、このうえない。

ところが、そのまま連絡がとれなくなった。

当の地方団体からは、
「その本人と接触したいから、連絡を入れてくれ」
という。

その主張はごもっともだと思う。
彼らにしてみたら、そのために某財団から多額の費用をもらってしまっている。
「研究対象は、居なくなりました」
では済まされないのだろう。

そういう事情もわかっているし、
何といっても意義ある研究であるので、
私たちとしても、何とかしてあげたい。

しかし、私たちに連絡をよこさなくなった対象者ご本人に、
私たちから連絡をつけることはできない。

なぜならば、本人が選んで私たちと距離を置いているのであれば、
もし私たちから連絡をつけることは、
ご本人に思い出させたくない記憶を蘇らせてしまう恐れがあるからだ。

個人情報保護法遵守といった、法的な問題もさることながら、
それ以上に私たちが大切にしたいものは信頼関係だ。

こんな板ばさみになって、私たちもここ数日、少なからず悩んだ。

しかし、雲間が晴れるように、一つの考えがうかんできた。

そもそもその調査は、
そういう傾向を持ったサバイバーの「実態」を明らかにするものである。

聞き取りをお願いしたご本人が、
そのとき、そういうタイミングで、私たちから離れていったというのは、
それはそれで、一つの貴重な実例ではないか。

もともと調査を始めなくては気づくこともない、
並大抵なことでは出会うことのできない貴重な実例であり、
実態を明らかにする一端ではないか。

当初、自分たちが抱いたどの仮説にもあてはまることなく、
こういう予想外の顚末になりました、
とスポンサーに報告することが、
彼らにとっても、真の意味で助成を無駄にせず活用できる道ではないだろうか。

そういう思いが胸に去来しつつも、
私たちはひそかに固唾をのむように、
いまだご本人からの連絡を待っている。