コラム

JUST There(そこが訊きたい)! 斉藤先生(6)

(前回よりつづく)

――  一連のこの、私(渉外部池田)がやらせていただいているインタビューの中で、斉藤先生の思索の軌跡みたいなものが、斉藤先生をぜんぜんご存じない方々にもわかりやすく伝わるようにするためには、どういう風に質問を系統立てて構成したらいいだろうと、頭を悩ませているんですよ(笑)

斉藤先生:どうですかね、私はあんまりそういうふうには考えてなくて、ようするにJUSTに集まってきている人たちにとって役に立つ情報を、時々刻々伝えていくために、このインタビューをやっていただけばいいんじゃないですかね。だから、ぜんぜん系統立ってなくていいですよ。

 

――  じゃあ、もうド素人な質問を、断片的にポンポン出すだけでも……

斉藤先生:そう、そう。そのほうがおもしろいと思う。「第1章 ナニナニ」みたいな感じじゃなくて。

――  わかりました。じゃあ、そうさせていただきます。

斉藤先生:それと、……人々への影響力といったことまで、あんまり考えなくていいですよ。
というのは、JUSTというのは、初めからある種、集まる理由がある人たちが集まっているところでしょう? そういう人たちは、すでにこういう話に対して聞く耳を持っている。
そういう人たちには、何もこちらが「影響を与えよう」なんて思わなくたって、それぞれ勝手に、得るべきものを得てくれるんじゃないですかね。

むしろ、こちらが考えることは、そういう人たちが何をいちばん必要としている情報や知識かということだと思う。

――  じゃあ、「斉藤先生をご存じない方々にもわかりやすく伝わるように」ってことは、あんまり考えなくていいですね。

斉藤先生:いいでしょうね。
精神科医を含めた、他の一般の人たちにわかりやすい、ということになると、かえって伝わりにくくなることがある。

というのは、そうすると弥縫策(びほうさく)というか、理論的な破れ目をふさごうとすることに躍起になって、いちばん大切なところが抜け落ちちゃうような気がするのね。

やっぱり、何か本当のことを言おうとすると勇敢じゃなくちゃいけなくて、勇敢であれば当然、欠陥もありますよ。理論的な欠陥もね。
でも、それはいいんですよ。理論的な欠陥、論理の飛んでいるところが、明日の発見につながるんですから。

大事な何かにしっかりと届きさえすれば、いっこうに構わないと思う。求めている他者の、頭で理解されるんじゃなくて、「腑に落ちる」のであれば。腑に落ちれば、あとはその人が自分でもう一回考えなおしたり、生き直したりする糧にしてくれるのではないかと思う。

 
(つづく)