Toronto → 小菅 and Now

Toronto → 小菅 → and Now (1) 「逃亡生活、その最後の日」

さとうのぶこ


 私は15年余りの過食嘔吐ののち、窃盗を繰り返し、最初の裁判での執行猶予期間を終えたころ、二度目の裁判で実刑2年半の判決を下されました。当時3人目の子供は乳飲み子で、私が刑務所に収容される時にはこの子は施設に預ける、という夫のアイデアに従えず、結果的に出頭して受刑が始まる前日に、カナダに家族で逃亡した、という選択をしました。斎藤先生には、当時裁判中にやっとたどり着き、あれから8年、その後様々な経験の後、今も麻布に通っております。


 私の経験が窃盗の歯止めになったり、何かのきっかけになったら幸いと、こちらのJUSTのページに書かせていただくことになりました。よろしくお願いいたします。


2016年師走




 心配を隠しきれない笑顔の友人をハグして “ありがとう” と言った。何か言葉を続けようとしたが、これ以上何かを口にしたら、これまでの自分の人生が言い訳がましくなりそうで口をつぐんだ。

 パルプフィクションのウマサーマンの様ないでたちのロングヘアの女性と、いかにも人のよさそうなヒスパニックなまりのがたいのいい男性が、さりげなく私の脇を固めながら、友人たちに “ありがとう、じゃあね” と言うと、私を歩くように促した。


 空港の特別室を一歩出るとそこには見慣れたピアゾン空港の高い天井が現れた。2人のガード(入国管理局の警備員)に連行されながら手荷物検査を受ける。大きな二つのスーツケースには、先ほどまで一緒にいた友人たちが詰めてくれた私の全所帯道具が入っている。

 思えば4年前、全ての家具と大方の所帯道具を捨て、それでも46個のダンボールとともに海を渡り、そして今再び全てをカナダに残し、手元にはたった2つのスーツケースがあるだけだった。

 残さざるを得なかった一番心残りなものは、一匹のジャックラッセルと子供を生んだばかりの砂ねずみの夫婦だった。残されたペット、その子達をあきらめなければならなかった子供たち、そこを考えると胸が熱くなる。


 そんなことに思いを馳せている間にボディイチェックは終わった。ウマサーマンのようなガードが私の腕をつかむと物陰に誘導した。 “ごめんね、でもこれが私のしごとなの” と手錠を見せた。 “飛行機にのるまでだから” “私のジャケットで被せるから人には見えないから” などと申し訳なさそうに手錠をかけた。

 “気にしないで” と自分のジャケットを脱いで手錠の部分にまきつける彼女に言った。手錠なんて何度もかけられてるし、たとえ空港で誰に見られようとたいした問題じゃないの、問題なのは私がこれから一年以上も子供に会えないってこと。と頭の中で思いながら彼女の好意に笑顔だけを向けた。


 数年間に何度この広い空港のこのホールを歩いただろう。日本からの友人を見送るたびに、いったいいつ私たちはあのゲートをくぐり、日本へ帰ることができるのだろう、その日はいつか来るのだろうか?と、高い天井を見上げながら不安をおぼえていた。

 子供たちは、日本人の友達が一時帰国するたびに、 “僕たちも日本に遊びに行きたい!” と無邪気に言った。そして今、想定以上の最悪のシチュエーションで私はここにいる。


 カナダの大自然を満喫してきただろう日本人観光客のツアー団体が脇を通り過ぎる。あー、この人たちは13時間のフライトが終わると家族が待っていて、バンフがどうだったのナイアガラがどうだったのだと、暖かくて楽しい日常が待っているんだなぁ、と自分を待ち受ける冷たい刑務所生活を想像してみた。

 さっきまでいたカナダの留置所では、行ったこともないのに “日本の刑務所は最悪だよ” とカナディアンの収容者たちが口々に言っていた。何で知ってるの?と聞くと、噂で聞いたとか、最悪に違いないとか、挙句の果てには、北朝鮮と勘違いしてることがわかったが、今の自分には日本でも北朝鮮でも、最悪なところだということに変わりはなかった。


 二人のガードに挟まれるように、どこまでも続く長いホールを歩いてると突然ウマサーマンが “How long?” と聞いてきた。 “どれくらい?” 何のことだかわからずにキョトンとしていると、 “prison time” と言われ、受刑期間を聞かれてることがわかった。 “あー、一年10ヶ月” と答えると “22 month? not so bad!” “22ヶ月?そんなにわるくないじゃない!” と初めて笑顔を見せた。

 “そうかな、22ヶ月も子供に会えないんだよ、22ヶ月も母親不在の生活をあの子達は送るんだよ” と思わず本音が口から出た。彼女は言葉を選びながら “そうよね、そうだったわね” と、その外見が放つイメージとはうらはらな態度で言葉を続けた。 “あの子達、3人とも素敵な子達だった、私昨日 三人とあなたの旦那さんを見送ったの。あなたを見たとき、すぐにあの子達のママだってわかった。特に女の子はあなたと同じ顔してた。あの子達なら大丈夫よ、3人で笑いながら、喧嘩しながら、あなたをまっててくれる。昨日もそうだったの、喧嘩するのにずっと笑ってた。パパに怒られてたわ” と思い出したように笑った。 “そうかな、そうだといいけど” という私の弱気な返答に “大丈夫!” と私の肩を揺さぶった。


 見ず知らずの入国管理局の若い女性の言葉が胸にしみる。多分彼女の言うとおり、子供たちは喧嘩しながら笑いながら私を待っていてくれるだろう、決して望みを捨てた小動物のようにはならないだろう、と3人の顔を思い浮かべてすぐにやめる。イミグレーションに踏み込まれてから約2週間、これから先の子供たちの心境を思うと、子供たちのことを思い浮かべるだけで苦しくなる、だから自分には最初から子供なんかいなかったふりをしてみたりした。私はあと一年と10ヶ月もの間、この思いをどうやり過ごすことができるのだろうか。


 そんなことを思いながら、エアカナダのゲートに到着した。まだ一般乗客には開放されていないゲートをくぐり飛行機の搭乗口にたどりついた。エアカナダの乗務員が、事情を知ったそぶりで私を連行してきたガードから書類をうけとり、中身をチェックし、“OK” とガードに伝えた。ヒスパニックのガードが握手をするために大きな手を差し出した。女性は私をハグし、 “Don`t forget ,It`s only 22 month”
 “忘れないで、たった22ヶ月!” と耳元で、ゆっくりと言った。


つづく