Toronto → 小菅 and Now

Toronto → 小菅 → and Now (3) 「葛飾区小菅1−35−1」

さとうのぶこ


 全ての乗客が降りるとグレーのスーツ姿の小柄な男が近づいてきた。「佐藤伸子さんですね、高等裁判所のXXです。事情はお分かりですか?」と伺うように話しかけてきた。
 ニュースなどで海外逃亡した容疑者が、成田で捕まる映像を見てきたからなのか、自分も大勢のがたいのいい男達に取り押さえられる情景を想像していただけにあまりに地味な捕り物劇に少し安心し、ついて来てください、と言うその男の後を追った。


 飛行機を降りると懐かしい匂いが漂う。男に着いてしばらく歩くと、グレーのスーツに身を包んだ数人の男達と1人の女性が待ってましたとばかりにこちらをじっと見つめて立っていた。
 この集団に見守られ、広い空港の中を歩き、税関を通り、大きなスーツケースをピックアップし、やっと日本国に入国、したことになった。


 一般客は通らないであろう裏口の脇で、最後の検査を受けると飛行機の中まで迎えに来た男とはちがう男が「これから霞ヶ関の高等裁判所に書類を落としてから東京拘置所へ向かいますが....ほんの一瞬ですが手錠をかけなければなりません.....」と申し訳なさそうに手錠を取り出した。もう逃げようとはさらさら思わないけど、一度逃げられたこの人たちの立場、ここから車に乗るまでどれだけの距離があるのか知らないが、まぁ手錠をかけるのが普通だろう、と素直に両手を差し出した。


 車まではほんの数分だったと思う。ものすごい護送車やパトカーが仰々しく待ち構えてると思っていたが、停まっていたのは一台の黒のバンだった。

 車に乗り込んだのは、運転する男の他に、助手席に若い男、後部座席の私の横に女性が座った。乗車すると女性が手錠を外し、運転席の男が「お腹空いてませんか?」とコンビニの袋を差し出した。
 覗くと中には、塩むすび、と、梅、とのおにぎりが入っていた。これから始まる拘禁生活への不安と緊張で張り裂けそうだった身が、久しぶりに見るそのコンビニのおにぎりを見た瞬間緩み、そういえばお世辞にも美味しいとは言えない機内食をほとんど口にしていないことを思い出した。
 「いただきます」と塩むすびに手を伸ばすと、どうぞ、とペットボトルのお茶も用意してくれていた。
 4年間も逃亡し、手を煩わせた私への気遣いに感謝する思いと、こんな事態でも悠長に差し出されたおにぎりを食べてる自分への叱咤を入り混じらせながらも、手は、梅おにぎりのセロファンを開けていた。


 沈黙の中でカシャカシャと音を立てるセロファンを開けながら、本来は「結構です」と遠慮するべきだったのか、せめて一個にしておくべきだったのか、などと後悔してみたりもしたが、結局お茶まで飲み干し、お腹は満たされ、そろそろその沈黙に耐えられなくなっていた。


 まさか自分から話しかけるわけにもいかず、外の景色を身始めると運転席の男が「あちらでは大丈夫でしたか?」と唐突に尋ねてきた。質問の意図が読めず、なにが?と心の中で思いながら、この逃亡者のためにコンビニでおにぎりを選んでくれた彼に、言葉を選び「えっと、どの部分…..」と口ごもると「全てです、全体を通してです。生活とか、最後の時とか」。その口調から、たわいない世間話を始めようとか間を持たせるためでない、はっきりとその答えを聞きたい、という意思が伝わり、一つ一つ彼の聞きたいであろう事を話し始めた。


 生活費はどうしてたのか、子供は学校に行っていたのか、お母さんはあなたと連絡を取っていたのか、などの質問への一通りの私の答えを聞き終わると、彼は堰を切ったように、私が逃亡してからの4年余りを語り出した。静かで淡々とした口調で、逃亡者を出した彼ら側の月日を聞いていると、よくもこんな事をしてくれたな、と責められたら感じなかったであろう「反省」の念にかられた。「私たちも、あなたのお母様も、大変だったんですよ、あなたも大変だったと思いますが」のフレーズがずしっとくる。
 罪を犯した事への罪悪感も、逃亡した事への罪悪感も、ほぼ感じた事なくここまできた私だったが、その時、あの護送中、彼の言葉を聞きながら、じわじわと自分がした事で巻き込んだ人々への自責の念にかられていた。
 そしてやっと踏ん切りがついたかのように「これでよかったのかもしれない」と、今から受刑生活が始まる事、逃亡しきれなかった事、を前向きに受け止めていた。
 もし、あのまま、カナダで、時効成立までの5年間を無事過ごしていたら、今の私はいなかっただろうし、罪を犯した事実より、逃げ切った成功体験で、浮かれた人生を送っていたかもしれない。


 高速を降りて信号で止まると、久しぶりに見る通勤帰りのモノトーンの雑踏が広がる。1日の仕事を終えて帰途につく人も、そのままネオンの向こうに吸い込まれるように消えていく人も、幸せそうに見えた。堅苦しいスーツを着ていても、うるさい上司がいても、そうやって解放され暖かい家に帰れる人たち。これからしばらく、私はあの賑やかな家に帰る事はない。その事実だけが、受刑生活を肯定する事ができなかった。


 霞が関で運転していた男だけがアタッシュケースを持って出て、15分ほど停車していた車は再び走り出した。「これから東京拘置所へ向かいます」と男は言うともうすっかり暗くなった東京の街が見えてきた。高速に乗りしばらくすると東京スカイツリーが見えた。スカイツリーが出来た頃、トロントで日本の番組を見ては、子供達が「今度東京に帰ったら行こうね!」と楽しみにしていた事を思い出す。
 初めて見るスカイツリーは余り愛着のない巨大な塔だった。窓からスカイツリーを追っていると車は高速を降り目の前には無機質にそびえ立つ大きな建物が見えた。


 車が大きな門の前で止まると、警備員なのか刑務官なのか、制服を着た大きな男たちがぞろぞろとやってきた。門が開きしばらく徐行すると、運転手が「着きました」と初めて振り向いて私の顔を見た。「はい」と答えるとドアが開き、ため息を飲み込んで車を降りた。
 そこには、成田からさっきまでの質素で静かな護送とはまるで様子の違う風景が広がる。ガタイの大きな男の刑務官たちが20人ほど待ち構えていた。ガラスのドアを入り成田から私を護送してきた3人は刑務官たちに私を引き渡す。運転していた男が「がんばってください」と少しの安心と憐れみを含んだ目で会釈した。この人には二度と会う事はないだろう。そう思うと「すみませんでした、ありがとうございました」と頭が下がる。彼らの後ろ姿を見送っていると、一人の刑務官の「はい、いいですか、これからあなたはこの東京拘置所に入所します、その手続きをします。色々質問をしますので、嘘のないようにお願いしますよ!」と市場のセリが始まるかのような威勢のいい声が大きなホールに響き渡った。


 名前や性別、住所を聞かれ「住所はありません」というと笑いが起こる。当然この人たちも私が長い逃亡劇の末、ここにたどり着いたことは知っているのだ。なぜか大きな男たちのその笑いに少しホッとし、写真を撮られ、指紋を取られ、一通りの手続きが終わったようだった。
 「2776番、これがここでのあなたの称呼番号、あなたの名前です。ここではあなたは名前では呼ばれません、この番号を呼ばれたら返事をしてください。大事な番号なので覚えてください」。
 「では荷物を持って女区に行って下さい、そこで荷物と体のチェックをします。」言われるままにスーツケースの前に立つと、どこからともなくなのか、初めからいたのか、女性の刑務官が私を誘導した。60前後と思われる、髪を一つにくくり帽子を深々と被ったその刑務官は、二つの大きなスーツケースを憂鬱そうに見ながら気難しそうに「はい、スーツケース押して、そっち」ともう一つのスーツケースに手をかけながらエレベーターホールの方を指差した。銀縁のメガネの奥の大きな目は厳しく、言葉はぶっきらぼうだったが、どこか暖かい感じを受けた。
 この女性刑務官が、女区の主任、つまり一番偉い人であり、自分たち拘禁者の運命を握っていると言っても過言ではない位置づけの人だということはずいぶん後に知ることになった。そして多分入所者の多くが通るこの主任との”国家公務員vs犯罪者”の面倒くさくも熱いやり取りが次から次へと繰り広げられるとは、この夜は想像すら付いていなかった。