用語集

フロイトのPTSD撤退

PTSDに関する研究は、19世紀にいったん始まっていました。まずジャネが、1890年前後に今日の心的外傷の概念に目を留め、トラウマによる感覚、知覚、感情、外傷再演について研究していました。

いっぽう、フロイトは1895年、ブロイアーとの共同による『ヒステリーの研究』(独:Studien über Hysterie)によって、ヒステリーの原因は幼少期に受けた性的虐待の結果であるという病因論を発表しました。これは、今日で言う心的外傷やPTSDの概念に通じるものです。

これによってフロイトは、ヒステリー患者が無意識の中へ封印した内容を、身体症状として出すのではなく、思い起こし、言語化して表に出すことによって、症状を消しさることができるという治療法にたどりつきました。この治療法は除反応(じょはんのう / 独: Abreaktion)といい、力動論にかなうもので、そのころ広く知られるようになってきた物理学のエネルギー保存の法則にも基づくものでもありました。
この治療法は、やがて簡単にお話し療法と呼ばれるようになり、今日の精神医学におけるナラティブセラピーの原型となりました。
ところがその後、フロイトは考え方を変えていくことになります。1897年9月、親友だったフリースに宛てた手紙の中でフロイトは、ヒステリーのほとんどのケースにおいて、父親による性的な行為が患者から訴えられるけれども、近親姦がそれほども一般的であるとは信じられない、と書きつづっています。

こうしてフロイトは、幼年期に神経症の原因を求めることをやめてしまい、原因として語られる内容は患者たちが創作したファンタジー(幻想)であるか、あるいは治療者が患者に強いて創作させた空想にすぎないと考えるようになります。

しかし、それでもなお、ではなぜ患者はそのようなファンタジーを治療者に語るのか、という問いが残ります。まったく理由のないことなら、嘘すらつく必要もないからです。

そこでフロイトは、語られる内容はたとえ事実でなかったとしても、患者のなかにそれを事実として語らざるを得ない必然性があるにちがいないとの考え方に達し、事実を、物的現実心的現実に分けて考え始めます。

この考え方は、たとえ社会にとって認められないことであろうとも、患者にとって何が真実であるかに焦点を当てることで、それまで報われなかった患者たち救い出し、その意味で精神医学を進化させるのには役立ちましたが、物語られる外傷体験がファンタジーである、つまり物的現実ではないと片づけられることにもなってしまいました。そのため、それ以上、心的外傷については研究が進まない時代が、20世紀前半に続きます。

ふたたび本格的にPTSDが研究されるのは、1923年キャノンや1941年カーディナーによって考察された戦争神経症ASDをもとにして、政治的な世界観もがくつがえっていくベトナム戦争後まで待たなければなりませんでした。