東日本大震災 被災者支援 特設ページ

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2013年度活動報告



JUSTでは、2013年(1月~12月)は赤い羽根中央共同募金会第10次助成よりご助成いただき、昨年に引き続いて宮城県南三陸町戸倉地区における発信力が弱い被災住民のための心のケアと生活支援活動を中心に、東日本大震災からの復旧・復興のお手伝いをさせていただいております。



私たちJUSTの団体から、このご助成による事業活動を現地、南三陸町とその近隣(登米市・気仙沼市・石巻市・大崎市・仙台市など)でおこなう者は、全員このように「赤い羽根ボラサポ」のシールを貼った「JUST」の名札を首から下げて活動しています。






□ 今年度活動の背景と目的


私たちJUSTでは、東日本大震災の発災後ただちに東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)に加盟し、2011年度は宮城県南三陸町において、戸倉復興支援団(2011年度当時)との連携のもと被災住民の最優先ニーズであったコミュニティスペースを供給し、それ以来、運営に携わっております。
また、仙台の医療法人社団東北会病院、東京の精神保健の専門機関株式会社IFFと連携して、南三陸町保健福祉課、志津川保健センター、南三陸町社会福祉協議会と協働し、孤独死や震災後アルコール依存の予防を主軸として、仮設・みなし仮設住宅の居住者や在宅避難者、町外避難者など約3000人を対象に、ピア・カウンセリング、ミーティング・ナラティブワークなどの精神保健活動をおこなってきました。



私たちJUSTが戸倉地区に2011年度に建設したコミュニティスペースは、その後も地元復興支援団体ラムズ(Lamb’s)に運営をお願いし、戸倉のみならず南三陸、あるいはその近辺の方々のコミュニティスペースとしてご活用いただいております。




上記活動は2013年度に入ってからも継続し、2013年(1月~12月)は赤い羽根中央共同募金会第10次助成よりご助成いただき、2012年度上半期(4-9月)は貴募金会の第6次ご助成によって、現地仮設住宅自治会や現地団体である復興まちづくり推進力!ラムズ、また当該地区に入っている高野山真言宗足湯隊、とこやさん理髪一番隊、東北学院大学民俗学ゼミナール、エンカンパス・キリスト教会など多様な他団体・機関との連携のもとに心のケアを遂行してまいりました。




震災後3年目にして


被災地の心のケアが必要な理由


「まだ被災地支援なんかやってるの?」
「3年目になるのに、まだ必要なの?」
「心のケアなんて、役に立っているの?」
……私たちJUSTが本拠地としている東京では、よくそのような質問を受けます。おそらく東京だけでなく、被災地以外の土地では、多かれ少なかれ似たような疑問はあるのではないでしょうか。

じつは、被災地の心のケアは、発災直後よりも、3年目である2013年度の方が必要とされている側面があります。というのは、人間の心の作用として、ひとつの体験が心的外傷となって深く心を蝕み、生活に支障をきたしてくるのには、どうしても年単位の長い時間がかかるからです。発災直後は、余震の不安におびえながら、物資もない、プライバシーもない、過酷な避難所の環境で生き延びるのに必死だった被災者の方々は、ある種の緊張と興奮の状態に置かれていました。「発災直後の方が昂揚感があった」と正直に語ってくださる被災者の方もおられます。それが、狭いながらも日常生活も新たなリズムを作りつつある、仮設住宅ほかの現在の環境で、ふと我に戻った時に、かつての営みがすべてなくなってしまった事実に思いが至るとき、ふいに空虚な喪失感に打ちのめされることは、けっして珍しくありません。下の図は、宮城県の沿岸被災地における、ここ三年間の自殺者数の移り変わりを示したものです。震災後一年後よりも、むしろ今年度の方が自殺者が増えていることが一目でわかります。



そのような喪失感・空虚感は、さまざまな対象への依存症というかたちで現れることが多いです。阪神淡路大震災の教訓を得て、東日本大震災直後の東北では、震災後アルコール依存の危険が大きく叫ばれ、私たちJUSTも、初年度はその予防活動に尽力いたしました。震災後3年を経て、アルコール依存よりもまさるとも劣らずに表面化してきているのが、アルコール以外を対象とした依存症の発症です。たとえば、パチンコを代表とするギャンブル依存(正式名称は「病的賭博」)は、世間では「本人の心の弱さ」「義捐金をパチンコに使ってしまうモラルの低さ」ということばかりが取り上げられ、それが脳内物質であるドーパミンが代謝異常を起こしている、行動嗜癖という病気もしくは依存症であることとはなかなか認識されておらず、このような病気が、東日本大震災が私たちの心の深い部分に残した傷跡であると社会的に認知されるのには、まだ何年もかかるのではと危惧されています。しかし、今のうちからこのような病気を回復へ向わせ、問題が深刻化するのを喰い止めるのは可能であり、そのために私たちが「急がば廻れ」式に行なっているのが、いっけん非効率的で地味な地道な精神保健活動、すなわち「心のケア」なのです。
このような私たちの2013年度の心のケアは、赤い羽根中央共同募金会のご助成によってまかなわれています。



昨年(2012年)度までの私たちの心のケアの当初の手法は、町保健福祉課ならびに社会福祉協議会の管轄のもとに、被災者の方々から雇用された支援員が各仮設住宅、在宅避難者などを回り、精神保健に関わるニーズや、医療が介入する必要が考慮される事例を情報収集してくるのを、弊団体が志津川保健センターの保健師さんたち、南三陸社会福祉協議会の支援員さんたち、ならびに東北会病院スタッフの皆さん、株式会社IFFの専門家たちとのミーティングで検討することが中心となっていました。これはそれなりに効果を上げましたが、すべての精神保健的な支援ニーズが、必ずしもこのルートで速やかに把握されるわけではないこともまた、しだいに経験的にわかってまいりました。

その理由として、第一に、住民の方々にとって真に差し迫った支援ニーズは、往々にして生々しい内容を持ち、土地の人間関係も複雑にからむということがあります。相手が同じ土地の方となると、住民の方々もとかく堅くなったり、恥ずかしがったり、身構えてしまって、言いにくい場合があるというのでした。そこで、被災住民の方々の受援ニーズを掬い上げるために、もう一つのルートを設定することはできないかと考え始めました。



私たちは、被災地である南三陸町戸倉地区にとって、しょせん「民間」の「よそ者」です。それはマイナスな属性であるだけではなく、どの被災者からも生活上のしがらみのない、中立的な立場が幸いして適切な効果を上げるというプラスの属性が見込まれます。ゆえに、民間のよそ者だからこそできることがあるのではないか、と考えてみました。すなわち、

(1)行政の方々にとっても、行政の鉄則である公平性が、ときには一歩踏み込んで対応することを阻害してしまうケースがある。そのようなときに、その鉄則を負わない民間団体である私たちが相互補完的に対応する。

(2)私たちは民間団体として、精神保健を前面に押し出さず、日常的な交流をおこないながら被災住民の方々の中へ深く浸透し、受援ニーズを掬い上げることができる。



(3)把握された支援ニーズに関して、ふるい分けを行ない、私たちで対応できるものは私たちで対応し、福祉行政や精神医療に対応してもらう必要があると判断される案件は、無理に私たちで解決しようとせず、然るべき機関に相談させていただく。

(4)ふるい分けを行なう中では、高齢者の方子どもたち、各種障碍を持っていらっしゃる方、また周囲と隔絶した生活を送っている方など、自ら強い発信力を持たない被災者の方に重点を置く。






(5)医療との関連が必要な事案については、私たちが東京で密な連絡を持っているメンタルヘルスの専門機関 株式会社IFFを通じて、対応にあたる。

というものでした。

上記(2)の「支援ニーズを生活的交流を通じて把握する」というのが、言葉では簡単なようでいて、実はむずかしい課題ですが、私たちのような民間団体以外には役割を負えません。その具体的方法については詳しく後述させていただきます。




□ 被災地「心のケア」の特徴


数ある支援活動の分野の中でも、精神保健すなわち「心のケア」活動ならではの難しさ、というものがあります。
それは主に、都市部と村落部の間における、精神保健活動の形態の根本的な違いによるものと考えることができます。

東京に代表される都市部においては、今日では「心のケア」はシステム化されています。精神医療やカウンセリングが、商品化されたサービスとして経済流通の中に組み込まれています。ケアを受ける側と差し出す側がゲゼルシャフト(利益共同体)で関わりを持っており、それ以外の接点ではお互い生活の中で出会うことはありません。たとえば、私たちNPO法人JUSTが拠点を置く東京において行なっている主な活動である自助グループによるミーティングがありますが、このようなアノニマス・ミーティングは商品化され経済流通に組み込まれていないとはいえ、匿名性が担保された都市型システムの一つとなっています。いっぽう、私たちがお邪魔している南三陸町戸倉地区をはじめ、東日本大震災の被災地のほとんどを占める村落部では、ゲマインシャフト(地縁共同体)であり、絶対人口が少ないうえに、住民の皆さまほとんど幼なじみや顔見知りです。匿名性はないに等しく、現地には精神科医療機関やカウンセリング・ルームというものはなく、都市部で精神保健と言われている活動に相当する営みは、江戸時代から継承されている契約講その他の地域的共同体をネットワークとして、自浄的に処理される文化土壌を持っておられます。



このため、少なくとも現在のところでは、近代的精神医療でいうところの「クライエント」に相当する、「心のケア」というサービスの要受援者が、自ら進んでどこかの機関を訪れるということがありません。そのような土地柄に、都市型システムを無理やりに持ち込むことはできません。たとえば、治療者が個々の住民を訪ね、精神科医療の対象者の疑いをかけるようなことをすれば、へたをすれば人権侵害の誹りを免れません。ゆえにそういう形態を注意深く回避しながら、なおかつ孤立している要受援者を探し出し、必要なケアをおこなわなくてはならないというところに、今回の災害の被災地における「心のケア」の難しさがあると思われます。
また、その難しさゆえに、うまく矛盾が相克できず、「心のケア」無用論が叫ばれたり、「心のケア」というだけで、役に立たないのに無理矢理やっている空回りの代表格のように揶揄されたりしているのでしょう。そこで、まず「心のケア」は、「私たちは心のケアに来ました」と真正面から身構えて活動に入るのではなく、ごく普通の人間的交流によって、お互いの人間性を知り合うことから始めなくてはなりません。



私たちJUSTは、各仮設住宅自治会や現地復興団体からの要請に応える形で、メンタル・サポーターやグループ・ファシリテーターなど、東京における活動で実績と経験を積んでいる人材を、現地に派遣し、ひきつづき被災住民の方々と、まず表面上は心のケアに限定しない日常的交流を持たせていただいております。そうした中で、状況の変化にともなってその時々に「生活からにじみ出る支援ニーズ」を掬い取ってまいりました。
早い話が、表面上は「便利屋」です。まずはコミュニティスペースを直接・間接的に運営し、仮設・在宅を問わずに被災住民の方々のところにお邪魔して、買い物を頼まれ、子守をし、畑作業を手伝い、大工仕事もうけたまわります。各種土木建築作業、住民交流会の開催、医療機関への同行、子どもたちの見守り、再生事業申請へのつきそいや支援などにおいて、住民の方々と共に知恵を絞り汗を流すことで、住民の視点に基づいた、きめの細かい支援ニーズを拾い上げていきます。



このような活動を通じて被災住民の方々からすくい上げたニーズは、私たちで対応できる精神保健や生活支援に関しては、個別相談を行なうことで対応し、かたや医療や精神福祉行政につなげた方がよいと思われる事例は、専門機関である株式会社IFF、南三陸町保健福祉課、志津川保健センター、南三陸町社会福祉協議会などに適宜に連絡し、効果的な対応を協議します。こうして私たちは行政のよきパートナーとなるような活動を目指しております。




上記のような背景と目的のために、私たちの活動は以下の点を留意しています。

(1)継続性と創造性


住民の方々に「いつもやってくるあの人たちに、一つ相談してみるか」という気になっていただけるように、あるいは、住民の方々が真のニーズを言い出しやすい機会を設定するために、継続性と創意工夫をつねに持つように努めております。
たとえば、子どもたちへの心のケアの方法論として、彼らが精神的に開放されるスポーツ活動を通じて子どもたちとの心の距離を縮めていったり、子どもたちをとりまく親たちの不安を取り除くことから間接的に始めていくというようなことです。そのような機会設定で重要な位置を占める住民交流会は、テーマを「仮設住宅の空間的ストレスの問題」「避難先の子育ての問題」「高台移転の方向性」「防潮堤をめぐる議論」「無形文化財の再生」「震災前の当地を収録したフィルムの上映会」などと、被災住民の方々にとって、どれもその時々においてホットなものを選び、住民の方々がそれぞれ固有の心の問題を語れる入り口を増やすようにしております。



2013年2月17日、NHK総合チャンネルで『明日へ 支えあおう ~証言記録 東日本大震災~』シリーズの中から「14 宮城県南三陸町 高台の学校を襲った津波」として、この戸倉地区の戸倉小学校・戸倉中学校の「あの日」について放送されました。戸倉の子どもたちが、震災の当日と翌日、ショッキングな光景をたくさん見たに違いないということを強く傍証する内容でしたが、そのような苦難を乗り越え、現在の生活を営んでいる戸倉の子どもたちの強さに、東京から支援にうかがっている私たちが逆に学ばされております。






(2)モノの支援ではなく


私たちは「被災地支援における物資供給のフェーズは終了している」と考えております。支援と称してむやみに物を配ることは、イネイブリング(臨床心理の用語で、相手の力をそぎ落とす世話焼きのこと)になりかねないため、これを行わないことにしております。そのため、いわゆる「炊き出し」の類も行わないません。



私たちがおこなっている住民交流会は「炊き出し」とは異なり、あくまでも被災者同士が今後の高台移転などを踏まえて、自立的に支え合っていける共同体となる素地を作っていくための、また情報流通を活性化するためのイベントです。
住民の方々が自ら動いて企画し、実施できるように、私たちはお膳立てや下働き、広報のお手伝いをさせていただいております。




(3)主人公は住民


団体そのものの存在アピールを極力行わないようにしております。寄付者・出資者の方々などへの説明責任を果たすために必要と認められる範囲の活動報告は行いますが、支援活動においては、あくまでも主人公は被災住民の方々であり、私たちは黒衣(くろこ)であり、地域の潤滑油にすぎないことを肝に銘じております。
私たちの活動は、私たちNPO法人JUSTという団体のデモンストレーションでもなければ、精神医療のマーケティングでもありません。




(4)他団体との連携


JCNその他、関連団体の会議などはできるかぎり出席し、可能性のある他団体との連携を積極的に図っております。
とくに高野山真言宗、エンカンパス・キリスト教会など、私たちと同じ地区に入っておられる宗教団体の方々とは、方法論こそ異なれども心のケアという共通の目的のために活動していると認識し、その下働きに入るなど努めて協働させていただいてまいりました。他に、とこやさん理髪一番隊、東北学院大学民俗学ゼミナールグループなどとも、ときには活動の現場が東京や仙台になりながら、緊密な連絡を取り合って連携活動を遂行しております。






(5)将来を見据えて活動する


私たちがやがて撤退したあとも、戸倉に住む方々にご不便がかからないように、私たちが蓄積した活動データや活動内容を、現地の関連機関・団体へ移行していくとともに、これからの地域の復興を支える拠点の育成を図っております。
なお、南三陸町で被災した住民の方は、町内だけでなく、隣接する登米市の仮設住宅や、遠く仙台市にも居住しておられ、諸々の手続きは登米市・石巻市・気仙沼市・仙台市でおこなわれることが多いため、私たちの活動範囲は南三陸町だけでなく、これらの地域も含めております。



このように迂遠な方法論を取らなければならない現実と、その現実を形成している現地のリアルな状況、さらに、経済図表などのように成果を明瞭に可視化することができない「心のケア」分野の特性を、資金をご助成いただいている財団・基金にも、ご理解いただかなくてはなりません。また、当団体は人材的にも限りあるために、他団体との連携が不可欠で、地元戸倉や仙台市を主とする他団体との連絡会議、東京での専門家との連絡会議を密に行なわなくてはなりません。このようないくつかの条件を踏まえて、現地情勢のめまぐるしい変化に柔軟に対応しつつ、至らぬ点も多々ありながらも活動を行なっております。




心のケアへの扉 生活相談


私たちは、心のケアへの入り口として、対象地域の方々の生活相談をうけたまわっております。被災住民の皆さまからは、「これから、この地域はいったいどうなってしまうんだろう」「これから、暮らしはどうなっていくんだろう」といった生活不安を多く拝聴します。不安を解消するために、どのような補助金・助成金を、どのように申請すればよいか、あるいは申請できるか、といったご相談をうけたまわり、不安の種が精神保健方面ではなく、経済的な問題と考えられる場合は、司法書士や行政書士、税理士や企業コンサルタントをご紹介しています。また、その延長として、対象地域の住民の方が国や県の補助金を申請する際に、心細くないように、該当する機関までつきそって差し上げることもあります。





これらの活動は、ボラサポ:赤い羽根中央共同募金会によってご助成いただいております。





拠点コミュニティスペースの運営




心のケアの重要な支柱となるのが、特定の被災者の精神的孤立を防ぐことであり、情報流通の停滞を避けることです。しかし、公民館、カフェ、居酒屋、ショッピングセンターなどさまざまな共有空間が社会資本としてあちこちに当たり前に存在する都市部と異なり、戸倉のような農漁村部では、まず戸倉地区の中に、そのような交流と流通のための物理的な空間を作り、運営しなければなりません。そのために私たちが発災後に建設し、運営しているのがコミュニティスペースです。


コミュニティスペース内部の様子




コミュニティスペース運営の様子



赤い羽根中央共同募金会からのご助成は、こうしたコミュニティスペースの運営するためにの日常的な備品・資材・消耗品などのために役立っています。









被災住民の方々が訴えるストレス


不慣れな住空間と生活不活発病



東京や仙台などの都市部に比べれば、この地域は震災前、住環境はきわめて良く、概して家も広かったために、一人一室は当たり前と言われていました。このように、もともと広い居住空間で暮らすことに慣れていたからこそ、当地の方々にとって、狭い仮設住宅での生活はひときわストレスをもたらしています。その延長として、たとえば、ここ南三陸町ではとくに「生活不活発病」の危険が叫ばれています。



それを予防するためには、とにかく仮設の狭い自宅の外に出ることが、感情や精神のレベルに至る前の段階、すなわち肉体的・物理的なレベルで求められていたりします。
そこで私たちJUSTは、適時に住民交流会を開いて、そういう機会を作らせていただいております。



私たちが主催する住民交流会は「炊き出し」とは異なり、あくまでも復興の話し合いを促進するために、地域住民のかたがたが主体的に自ら実働してくださるのを、裏で支えることにすぎません。

「被災者は語る機会を求めている」


被災地に何回か通うあいだに私たちが考えたのは、「被災者の方々は潜在的に『語る機会』を求めておられる。しかし、みずから語る機会を設定するのは、謙譲を旨とする現地の文化風土からすれば『おこがましい』とされる。ゆえに、それは外から入っていった者、すなわち『よそ者』がときに無礼者の誹りを受けながらも引き受ける役割ではないか」ということでした。



それも、一対一の語りか、あるいは多対多の語りの機会が好ましい。被災者の方々が震災の日に受けた被害は、各人各様であり、ほんらいであればとても「被災者」という枠組みで概括できないくらい異なります。そのため、被災者の方々の中で自発的に震災のことを語り合うのは、相互の被害を比較し合い、妬みや怒りを誘発することにもなり、ややもすれば被災者同士の対立と地域共同体の分裂を誘発しかねない、危険なとは云わないまでもリスクをはらむことです。しかし、その機会を設定したのが、震災当日のことを何も知らない「よそ者」ということになれば、「そのよそ者に、仕方なく教え諭す」という形で、被災者の方々は当時のことを語ってくださるのです。
私たちが行なう「住民交流会」は、このようにナラティブ・セラピー(語りの療法)を二重にも三重にも間接的に応用して、被災者の方々の心のケアを行うものです。

住民交流会の様子



当然のことながら、地域住民の方々は、ほんらい外部から「被災者」という言葉でひとくくりにはできないほど、被災によって置かれた立場も、将来についてのご意見も、みな異なります。そのため、今後の復興の在り方や、高台移転後の方向性を話し合うためにも、率直な意見がざっくばらんに交換できる場が必要ですが、「コミュニティ・スペース(みんなで集まれる場所)が絶対的に不足している」「かつての地域共同体がバラバラになっている」などの理由で、なかなか難しい状況となっております。JUSTの主催する住民交流会は、このような復興のための意見交換の場としても、ささやかながらお役に立っております。

震災前の写真を見ながら今後を話し合う



住民交流会には、被災された地域住民の方々だけでなく、当地に入っているボランティア団体、学術団体の方々もいらっしゃいます。こうした幅広いつながりが、より活発な情報と意見の交換の場にもなっています。ときには海外からの訪問団の方々も参加者にいらっしゃいます。

ときには外国からのお客さまをまじえて



津波によって戸倉から流出した漂流物が、アラスカやカナダの海岸に多く漂着しました。アラスカ州に住むDavid Baxterさんご一家は、それら漂着したものを持ち主の手に直接送り返すことにより、被災者の方々が震災によって失われたものを少しでも取り戻してもらおうと活動していらっしゃいます。また、カナダの放送局が彼らの密着取材をおこなっております。彼らが漂着物を戸倉に送り届けるに際して、私たちJUSTはその案内役と、設営の手配を務めさせていただきました。NHKと提携しているカナダの放送局はその後も東京~南三陸を往復しているので、私たちJUSTとも物品資材の輸送その他において密な連携協働を図っております。



このような住民交流会によって、被災者の孤立が防がれ、情報の停滞が避けられています。これらの活動物資はみな赤い羽根中央共同募金会によってまかなわれています。







被災者の側に立った情報発信


心のケアとは、何も対象者を目の前にしておこなう傾聴だけを言うのではありません。被災者の方々と心を共鳴させ、とくに発信力の弱い方が何を訴えたいかを汲み取り、発信をお手伝いすることもまた重要な一部分を構成しています。
震災後3年目である今は、もはや物資供給の支援フェーズではありません。被災住民の方々に、
「いま、支援者に何をいちばん望んでいますか」
とお聞きすると、
「私たちの状態を忘れないでほしい」
という答えがたいへん多く聞かれます。日本社会全体では、すでに東日本大震災が「過去のできごと」になりつつあり、一般の国民の震災への意識は薄らいできています。こうしたことが、被災地に生きる人々のあいだでは、つらいことであるのです。私たちは、ご自分でIT基盤をそろえられないなど様々な理由で発信力が弱い方々が、何を被災地の外へ、全国へ、あるいは世界へ伝えたいかを汲み取って、その情報発信のお手伝いをしております。地元の震災語り部活動への後方支援は、その一端です。






震災語り部活動への支援


私たちJUSTは、本拠地のある東京では、トラウマを負った者が「語り」を通して自己治癒していく場、すなわち「語りの場」を自助グループ活動として社会に提供しているNPOです。そのため、「語り」という行為が、いかに治癒や回復につながるものであるかを経験的に知悉しています。被災者の方々が自らおこなっている「震災語り部活動」は、まさに私たちが東京でおこなっている活動や精神療法であるナラティブ・セラピーと通底しております。


上図は、南三陸町観光協会の方々が、語りのときに使用しておられるプリントです。自分たちの体験を無駄にしてほしくない、という真摯な叫びが伝わってくるようです。東京直下型大地震や南海トラフ大地震の到来が叫ばれている中、東日本大震災のときに、被災地のかたがた一人一人が、何を考え何を感じたかを情報化して発信することは、社会的に防災の観点からも価値あることでしょう。いわゆる被災地以外の人々にとって、「これは他人事ではない」ということを感じていただけるように発信していくことは、私たち支援団体として入った者の責務の一部と考えております。
東日本大震災は、被災地にとってこの上ない悲劇であったことは言うまでもありません。しかし「想定外」という言葉が頻繁に使われたように、悲劇が起こったときに私たちは「想定」していなかったことがいくつも重なった事象であり、歴史的に見れば、未来に語り継ぐべき貴重な財産と考えることもできます。悲しみを言葉に、悲劇を情報にすることによって、喪失が獲得に転じていく可能性を、私たちはさぐっております。



一方では、被災者の皆さまにとって「語り」とは、「自分たちの体験した悲劇を無駄にしないでほしい」「今後の防災に役立ててほしい」という社会性を帯びるかたわら、「自然のおそろしさと恵みを、もっと知ってほしい」という声でもあります。それは、「人間とは何か」という深遠な問題にもつながっていく、本質的な問いかけであり、これを全国に向けて、あるいは世界に向けて発信するのをサポートすることは意義あることだと私たちは考えています。






津の宮棟として建てた「戸倉の小屋っこ」は、仮設・在宅を問わずに被災住民の方々にご活用をいただいてまいりましたが、震災後の時間が過ぎゆくにつれて、復興も新たなフェーズに進み、建設のための土地を提供くださっていた方も新たにご自分のお店を始められることになったため、建設物ごとの移転が検討されました。



もともと建設当初の段階で、これは住宅区域の高台移転が決定するまでの暫定的な建築物であるを考慮として、分解・移動・再組立てが可能なUBC工法を採用してことが、ここで功を奏しました。UBC工法ならば、木造建築であっても、ユニットごとに分解して、適切な場所へ移動できるのです。



このように津の宮棟は3つのユニットに分解され、1ユニットずつ新設置地である水戸辺へ移動されました。日本で木造建築が完全な解体なしに移動されるのは、非常にめずらしいことです。



こうして建物ごと、戸倉地区の中の水戸部集落へ移動され、新生「戸倉の小屋っこ」として、住民の皆さまが復興について話し合いを持っていただけるコミュニティスペースとして機能していきます。自治協議会などが開かれるほか、住民の方々がつくった工芸品なども売られています。
住居用ではなく、なおかつ移動可能である、このような建築物は、本設ではなく仮設扱いとなるので、津波危険区域に建っていても、法令的にも問題がありません。


そのことを利点として、住民の方々の高台移転後も、たとえば漁業従事者の方々の休憩所・浴室や、当地へのボランティアの方々が雨露をしのげる拠点として、海岸の近くにあることが求められる機能を兼ね備え、当地の情報流通やコミュニティ活動の促進のためにご活用いただいております。


小屋っこ移設のときの映像記録は、下からごらんいただけます。日本では珍しいUBC工法のための、建築学的参考にもお役立てください。