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JUST日曜講座「赤ちゃんの舟」 2月26日(日)
A.T.
このブログ原稿を担当させていただいてしばらくたちましたが、書き続けることについて、気が重くなってきました。 先日、夫がこのブログを愛読していることがわかったからです。私はこの原稿をイニシャルの名前で書いていることに、ひとり安心し、書き続けてきましたが、夫の愛読癖をきっかけに、すぐ隣りで見つめ続けられている息苦しさを感じるようになり、窮屈です。
私は、視線恐怖なんだろうなあ、とよく思います。ひとのまなざしには、気配と表情があり、そして、確実に力があります。このまなざしは顔の見目形より私にとっては記憶に残るものです。この顔知ってる、と思うより先に、このまなざし、見たことある、と感じる方が先のことが多いです。
実際は、何を書かれているか不安でたまらない、と思われ、夫にも言い分があるということでしょう。
私はまなざしで身体接触同様の印象を感じることがしばしばです。そういう視線はいや、この視線は好き、と、かなりはっきりしており、例えば、さいとうクリニックの近くにある、あるお店の御主人とは、長い年月、視線で対決してきました。何か信念をお持ちの方のようで、クリニックに出入りするメンバーを不躾な視線で見つめ続けておいでです。世が世なら、無礼者として切って捨てるものを、と悔しさが私にはあり、あるときには、仲間内で、何とかならないか、あのジロジロ見てくる御主人は、と話題になりました。
ほとんどのメンバーが、それぞれの対策を持っており、回避型が多い印象でした。こういう態度は、見習う必要があるかもしれません。私はこちらも信念を抱きながら、見つめ合ってきたので、いっそう燃え上っている反省があり、日によっては、からだを反らしてまでクリニックに入る寸前まで、こちらもジーッと凝視することもありました。私としては、無礼ですよ、あなた、と視線で教えてあげている気でした。
思いあまって、「さいとうミーティング」のテーマに掲げてシェアしたこともあります。先生によれば、あの御主人は商店街を守るミッションをお持ちなのだそうです。
そうだとすれば、おかしな動きをすれば思う壺だと思いました。今度、投げキッスでもしてみましょうか、したくありませんけど。
私は、子育てがつらくなり、怒鳴り散らし衝動が訪れると、アパートの窓を怒鳴り散らしながら開けて回ります。密室で小さな子に怒鳴るのはとてもまずい、と思っているからでしょう。通報歓迎、訪問どうぞ、と本音では思っています。その光景だけを見て、虐待にふける母親とこどもと見なされるのは無念です。
今のアパートに住んで何年かたちましたが、一度も訪問などがあったことはないです。昼間、出かけている間、あったのかもしれません。引っ越してきた頃、わめき散らしがひどくなる一方だったことがあり、だれに助けを求めるのかわからないまま、保健所だったか、区役所に電話したところ、半日ぐらいたってから、初老の女性2人が現れ、どうしましたか、ということでした。その間、私は部屋中をかたづけ、目にされては都合が悪そうなものを撤去しており、だめだこりゃ、と思いました。
そのとき、その女性方は家庭支援センターの電話番号を置いていってくださいましたが、知ってるわ、それくらいと思いながら、お見送りしました。まぬけな記憶です。
アパートに入居する際、アパートの暮らしを快適にするため、激しい口論、騒音は控えてください、と契約書に書かれ、守れるだろうか、無理そう、と思いました。
しかし、向かい側に住む大家さんが息子か孫とおぼしき人と、灯油タンクを蹴飛ばして怒鳴りあっているのを見て以来、大丈夫だと思い、あまり遠慮していません。対照的に、このアパートは静かです。夫婦喧嘩、こどもが怒鳴られる声、何かが壊れる音など、全然聴こえないんです。不自然だと思います。
息子が生まれた頃、住んでいたアパートでは、わけありのシングルマザー一家が隣りに引っ越してきて、のっけからそのお母さんは子供たちを相手にわめき散らしていました。情操教育兼ねてバッハを優雅に聴いていた私は、つんざかれる思いで立腹、苦情の連続でした。日曜の早朝に怒鳴り始められたときには、もう我慢しない、と私は隣になだれこみ、うるさわよ、あなた、平日は我慢するけど、日曜までやめて、と訴えに行きました。それでも、怒鳴り声がやむことはありませんでした。
憂鬱なことに、台所が薄い壁をはさんで向かい合っており、そのお母さんは下手なカーペンターズを歌うことがしばしばでした。あらよっという感じの歌い方で、いかにも酔っぱらっており、私は向かい合うのがいやでした。
今なら、そのお母さんと、いろいろ話せる気がします。
春はそこまで来ています。次回「赤ちゃんの舟」は3月25日(日)です。そろそろ公園ランチの集まりも始められそうです。
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日記
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